2026年6月9日の杉江松恋

昨日は原稿がそんなに書けなかったんだという愚痴と私は今何を考えているか
杉江松恋 2026.06.09
誰でも

2026年6月9日。

杉江松恋が今月書かなければならない原稿、やらなければならない仕事は以下の通り。

レギュラー原稿:週刊8・隔週刊1・旬刊2・月刊4

イレギュラー原稿:季刊1(追加)・インタビュー1・文庫解説4・新人賞下読み1・企画書1

その他:動画撮影配信6・演芸会主催1・講師1

今日こそは原稿を頑張るぞ、と思った月曜日だったのだが、蓋を開けてみるともろもろの事務処理が忙しくなってしまい、結局完成できたものはなかった。さらに、メールの督促を頂戴して、一つ〆切を失念していたことに気づく。申し訳ない、すぐやります。

また、メールでインタビューのご依頼をいただいた。前から言っているが、単発仕事の依頼をいただくと、世界からまだ見捨てられてないんだと嬉しくなる。連載のご相談を頂戴すると、世界に愛されているんだとさらに嬉しくなる。嬉しくならせてください。

それはさておき、現在取り組んでいることについて今日は少し書いておこうと思う。

私がまだ三十代くらいのとき、ライターは黒衣に徹するもので、自ら宣伝するという考え方は誰の中にも希薄だった。いい仕事をしていればきっと見出されて依頼も来るようになる、という認識だったためである。実際その通りで、私程度の者でも次第に仕事は増えていった。

ただしその当時から、自分は書評家・ライターとして後発なので、何をしなくても増収していけるとは思えない、という不安も抱えていた。その頃にしたことについてはまた改めて書く。ちょこちょこ小細工をしていたのが後で役に立ったのだと思う。

四十代に入るときに大病をして、一月半も入院をすることになった。そのへんんで生き方を少し変えた。仕事も大事だが、自分の人生を大切にするようになったのだ。PTA活動をやったり、久しぶりに演芸会に行くようになったり、生活のパターンががらっと変わった。おかしなもので、それによって今まではなかったようなところからの仕事依頼が入るようになり、自分の幅が広がったような感覚が出てきた。

私が四十代をそうやって過ごしていた他方で、業界はじわじわと縮小していった。その変化をあまり敏感に察知できなかったのは、新しい仕事が増えて、そっちに目が向いていたからだと思う。気が付いたら、縮小というか凋落はあからさまになっていた。

五十代に入るころ、たぶん自分は今まであまりいなかったタイプの書評家だし、ライターとしても他の人がやらないようなことばかりやっている、と考え始めた。自覚的にそう仕向けたというより、関心の赴くままに動いていたらそうなったのである。いわゆるインフルエンサー的な振舞いをするにはもう遅くなっていた。だって他の人が関心を持たないことにしか関心がないんだもの。そういう自分でもどうやって生きていけるかを考える時期に差し掛かっていた。

そのへんで、自分を商品として考えた場合、どんな評価をいただけるかが大事だと思うようになった。自分はこうしたい、という思いはもう変えようがない。それを世間に受け入れてもらうにはどうすればいいかということでもある。いろいろなことを始めた。

そうした流れの中に今年始めた二つの事業がある。まずこれ、「杉江松恋ニュースレター(仮)」はあくまでかりそめの題名で、近いうちに改めようと思っている。「デジタル時代のライター生存戦略記」とでもしようかな。要はそういうことで、日常の報告ではない考え、こうすればいいのではないかという提言なども書いていこうと思っている。そういう内容は登録読者限定にするのかも。まだそのへんは決めきれていない。

長くなったので、今年始めたもう一つの事業についてはまた明日。

昨日の稼ぎは結局、朝日カルチャーセンターの講師料だけだった。あまりいいことではない。6月に稼がなければいけない目標額への進捗率はちょっとだけ増えて15.79%になった。今日こそは20%台に到達しますように。

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